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産経新聞より。佐村河内さん謝罪会見(1)~(4)

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http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140307/ent14030711270015-n1.htm

【佐村河内さん謝罪会見(1)】
長髪を切って深々と謝罪 
「誠に申し訳ございませんでした」

2014.3.7 11:23  産経新聞



謝罪会見冒頭、何度も頭を下げる佐村河内氏 
7日午前、東京都港区
(矢島康弘撮影)



「両耳の聞こえない作曲家」として知られた佐村河内守
(さむらごうち・まもる)さん(50)の楽曲が作曲家、
新垣隆(にいがき・たかし)さん(43)の代作だった
問題で、佐村河内さんは7日、東京都内で記者会見を開
いた。

 代作問題が発覚してから佐村河内さんが公の場に見せた
のは初。佐村河内さんの口から語られる“真相”とは-。

〈会見前、報道陣には2月に佐村河内さんが横浜市で受け
た聴覚障害検査の診断書が配られた。診断書には、
「障害の程度は、身体障害者福祉法別表に掲げる障害に
該当しない」という記載があった〉

 
〈会見場には大勢の報道陣が詰めかけ、事前に用意された
いすに座りきれず、座って待機する記者も目立った〉

〈佐村河内さんは午前11時すぎ、会場に姿を見せた。
黒いスーツを身にまとった姿は、髭がそられ、長かった髪
も横分けに短く切りそろえられ、サングラスもかけていな
かった。別人のような装いの佐村河内さんは、手話通訳が
そばで待機する中、冒頭、報道陣に向かって深々と頭を下
げ、緊張した様子で口を開いた)


 
佐村河内さん
「この度は多大なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございま
せんでした」

 
〈再び頭を下げる佐村河内さん〉

「誤りがあってはいけないので、紙に書いてまいりました。

 ひとつひとつ、名前を読み上げながら謝罪をしたいと思
います。

 CDを買って下さったみなさま、音楽を聴いて下さった
みなさま、演奏会におこしくださったみなさま、私のうそに
よることで、ご迷惑をおかけしたことを謝罪します。

 本当に申し訳ございませんでした。

 次に、本を出版してくださった講談社の方々、CDを発売
してくださった日本コロムビアの方々、全国ツアーを開催し
てくださった方々、本当に申し訳ございませんでした。

 NHKをはじめ、民放各局のテレビ局、新聞、雑誌等の
みなさま、この度は本当に申し訳ございませんでした。

 高橋大輔選手にも、深くお詫び申し上げます。

 また、被災地のみなさま、◯◯家(会見では実名)のみな
さま、本当に申し訳なく思っています。深くお詫び申し上げ
ます。一端着席させていただきます」

〈佐村河内さんは着席し、聴力検査結果の説明に入った〉

=(2)に続く



http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140307/ent14030711560016-n1.htm

【佐村河内さん謝罪会見(2)】
「検査の結果、私には聴覚障害がありませんでした」

2014.3.7 11:54  産経新聞



謝罪会見を行う佐村河内氏 
7日午前、東京都港区(矢島康弘撮影)




〈佐村河内守さんは席につき、メモをみつめたまま1分ほど
沈黙した。その後、聴力検査の結果や音楽への思いなどに
ついて、少し鼻声混じりで、とうとうと話し始めた〉


 佐村河内さん

「障害者手帳につきましては、検査の結果、私には聴覚障害
がありませんでした。

 私はこれまでもいっさい障害者年金は受け取っておりませ
ん。

 それは横浜市からも公表されるはずです。

 言葉が聞き取れるまで回復した後も手話通訳を雇っていた
ので手話通訳もグルではないかと疑われてしまい、通訳の方
たちに迷惑をかけてしまいました。

 でも、私は取材などで言葉がひずんでしまい会話が聞き取
れないことがあるため、手話通訳が今も必要なことは間違い
ないのです。

 でも聴力が回復したことやゴーストライターがいることは
だれにも話していませんでした。

 私の聴力が回復したことを知りながら手話通訳していた人
はだれもいません。

 無関係なのに疑われてしまった人に改めてお詫び申し上げ
ます。

 今回も手話通訳が必要なので今までと同様に依頼しました


 ご理解いただきますようお願いします。

 また、手話通訳に関しての質問はお控え下さいますよう重
ねてお願いします。

 改めてお詫び申し上げます。

 このたびはたくさんの方々に多大なご迷惑をおかけしまし
た。

 今の私には信用というものがまったくないと思います。

 天地神明に誓って真実をお話しいたします。

 テレビ出演は本日をもって最後にしますので、よろしくお
願いします。

 2002年の手帳交付について2月21日の横浜市の会見
で、当時の検査に疑わしいことはないことを横浜市が発表し
ております。

 お話ししたいことを箇条書きにかいたのですが、ひとつ
ひとつ長くなってしまうので…。いちおうお話しします。

 どうしても伝えておかないといけないことがあるので。

 映画の「コスモス」以前から私はプロとして音楽を作って
いました。

 テレビの「山河憧憬」という番組で音楽を担当し、それを
受けての「コスモス」での音楽の依頼でした。

 そのときは打ち込みの音楽で曲を完成している。

 交響曲を身銭を払ってまで作らなければならないかという
質問があるかもしれませんが、私は子供のときから音楽が
大好きでクラシックも好んで聴いていました。

 その中で日本で70年にわたる現代音楽に対して肯定的で
はなかった。

 昔の音楽の復権が一番と思い、時代が変わればいいと思っ
ていました。

 やり方が間違っていましたが、新垣さんというゴースト
ライターを使って、この交響曲は私が生きている間は演奏さ
れないと思っていました。

 でも、曲を残しておくことで、今の時代にある音楽と誰か
が拾ってくれればいいと思っていた、私がことこまかに設計
図を作って新垣氏に頼んだのです」

=(3)に続く



http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140307/ent14030712130017-n1.htm

【佐村河内さん謝罪会見(3)】
「雑誌を見て目を疑いました」「ウソです」 
新垣さん批判も展開


2014.3.7 12:08  産経新聞



記者会見する佐村河内守さん
7日午前、東京都内のホテル




〈話題はゴーストライターだった新垣隆氏との関係に移った。
会見冒頭で各関係者に謝罪したものの、そこに新垣氏の名前
はなかった。新垣氏に対しては、怒りが言外ににじみ出る〉


 佐村河内さん

「新垣氏とのかかわりは、私が詳細な設計図を書き、新垣氏
がそれを音にしていくというものでした。

 疑問なのは、師匠である三善晃氏に代作がバレることを恐
れていたはずの新垣氏がなぜ今、暴露したのか、私にとって
は疑問でした。

 ギャラについては、雑誌では新垣氏が『もうこんなことは
やめましょう』と何度も私に言ったと書かれていましたが、
ウソです。そんなことを言ったことは1度しかなかった。

 月刊誌『新潮45』で野口さんという方に書かれたときに、
はっきり私に『こんなことはやめましょう』と言いましたが、
そのときの1度だけです。

 それから、いま正直に言いますが、非常に言いにくいこと
ですが、いつも私が新しいコンセプトを思いつき、新宿の
ある喫茶店で待ち合わせして新垣氏と話をするとき、曲の
内容や構成について話した上でギャラを提示すると、彼は
まず首を横に振ります。

 そして値段を、ギャラを上げると、渋い顔をして『うーん
』となる。もう少し値をつり上げると、笑って『(そのギャ
ラで)いいですよ』と。これがこの18年の真実です。私
は(新垣氏が証言している)雑誌を見て目を疑いました。

 最後に、報道では私が障害者を自分のために利用したよう
に報じられていますが、闇に沈む人たちに光を当てたいと
いう気持ちは、天地神明に誓って本物です」

〈ここで佐村河内氏は新垣氏の証言が載っている
「週刊文春」のコピーを示す。新垣氏の証言にこれだけの
虚偽が含まれている、と主張したかったようだ〉

 
「蛍光ペンで線を引いているところは、事実ではないところ
です。

 これを見ながら、事実でないところを一つ一つ説明して
いきたいとも思いますが、時間がなくなってしまいますので、
皆さんのお怒りなど、聞きたいことも多いと思いますので、
質疑に移らせていただきたいと思います。よろしくお願い
いたします」

 

--冒頭、高橋大輔選手に謝罪されたが、高橋選手の五輪
   での競技はごらんになったか。また、高橋選手に伝えたい
   ことを詳しく


「高橋選手とは番組で1度、お会いしたこともあり、また
雑誌の記事で高橋選手の滑りに対しての思いを発言したこと
もありますが、その感想に触れることは精神的にも難しい
ですが、この曲を選んでくれたことへの感謝は変わりません。

 精神の強い方なので、影響を受けたことはあったかと思い
ますが、乗り越えていかれる方だとは信じていた。
(五輪での競技は)つらくて見られませんでした」

 =(4)に続く




http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140307/ent14030712230018-n1.htm

【佐村河内さん謝罪会見(4)】
「自分が制御できない大きな存在になり、恐怖を覚えていた」

2014.3.7 12:20  産経新聞



記者会見する佐村河内守さん
7日午前、東京都内のホテル




〈記者の質問を同席した手話通訳が佐村河内さんに手話で示
す形で、質疑応答は進んでいった〉


 
--今まで佐村河内さんの名前で発表された楽曲の著作権は、
   今後どうするのか。新垣さんは著作権を主張しないと
   いっている


 佐村河内さん

「今、新垣さんが何を思われているのか分からない状態です。
(先日の)記者会見では『著作権は放棄する』と仰ったのは
知人から聞いて知っておりますが、今後弁護士さんを通じて
どのような回答が来るのかは、まだ分かっておりません」

 
--今後も弁護士との話し合い次第で、佐村河内さんが著作
  権を主張することもあるのか

「とても難しいです。たとえば先ほどの『ソナチネ』に関し
ていいますと、新垣さんは、まず私が設計図をたてるのに心
を砕いた『交響曲第一番』について、『実験的だ』とか
『宇宙戦艦ヤマトだ』とか、まるで私の意にそぐわぬような、
あのようなことをいわれて大変ショックを受けました。

 またその半面、『ソナチネ』のような高橋選手が滑った曲
については、自分のものだというような主張をされている。

 それについても私の設計図に基づいて書かれているにも
かかわらず、『あれは私の傑作です』みたいに仰っているの
が疑問です。

 どの曲がどれほど著作者と著作権者にわかれていくのかは、
まだ分かりません」

 
--18年間、どういう思いで仕事を続けてきたのか。新垣
   さんの会見によっていろいろなことが明らかになった。
   それがなければ、そのまま続けたのか

 
「まず思いですが、新垣さん自身は、私を甘く見ていたのか。
『絶対に佐村河内は、私がばらさないと思っていた』と仰っ
ていたが、そんなことはなくて、私自身が、あるテレビ局さ
んで大きく取り上げられてから、どんどん自分が制御できな
いくらい大きな存在になってしまい、恐怖を覚えていました。

 いつかばれるんじゃないかという気持ちはありました。

 10年後にやめようという、引退しようという思いでおり
ましたけれども。『(週刊)文春』にも正しいことは書いて
ありまして、『新潮45』を読んで怖くなったからやめまし
ょうといわれたときに、恥ずかしい話しですが、日本コロム
ビアさんから次の作品と要望がありましたので、あと2曲
だけお付き合い願えないかというお話をしたところ、それが
3年に1曲ということで、あと2曲で引退しようという気持
ちでいました」

 
--罪の意識はなかったのか

 
「…ありました。すみません」

 
--診断書には「聴覚障害に該当しない」と書かれている。
   聴覚障害ではないと受け取れるが、今日は手話通訳も
   同席している。現在、どういう耳の状態なのか


「手帳を交付するかしないか、それ(交付)には値しないと
いうことです。

 音を感じたときに、自分で操作できない、ごまかしのきか
ない脳派についての科学的な検査の結果です」

 
〈佐村河内さんは診断書を指で指し示し、診断結果を専門
用語を交えて説明した〉


 =(5)に続く





たまたま、点けていた、ナビに映し出されたのは、会見が、
始まったばかり、冒頭の謝罪の場面でした。

「おお、本人は、また、逃げたのね。」と、思った次第で
す。

それが、本人だったとは・・・・・・。

あまりの変わり方に気付かない人も居たのでは?ええっ、
私は、気付きませんでした。

と、言う事で、これは、相当に胡散臭い会見になりそう
だなー。と、思った次第です。

サングラスを外し、ひげを剃り、多少の謝意を表す為の
演出だったのでしょうが、あまりに変わり過ぎて、話しを
始める前から、疑わしさ、プンプンでしたものねー。

何事もやり過ぎは、禁物の様です。

新垣氏とは、対照的過ぎるのが、有る種、面白い始まりで
した。


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