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難病と闘う男 巨人・越智 同じ病気で苦しむ人のためにも「1軍に」他、1記事。

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http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/14/kiji/K20140614008360990.html

難病と闘う男 巨人・越智 
同じ病気で苦しむ人のためにも「1軍に」

2014年6月14日 10:10  スポニチ



キャッチボール中に笑顔を見せる越智
Photo By スポニチ



 楽天・星野監督が「胸椎黄色じん帯骨化症」との
診断を受け、休養に入って3週間近くがたつ。

 闘将以外にもプロ野球界には、この国指定の難病
と闘う男たちがいる。

 08、09年に巨人のリーグ連覇の立役者となっ
た越智大祐投手(30)と、昨春のWBC
(ワールド・ベースボール・クラシック)で侍ジャ
パンに選出されたソフトバンク・大隣憲司投手
(29)だ。

 目指すは1軍のマウンド。

 そして「復帰」の先には「復活」がある。

 穏やかな口調で話していた越智の語気が、その
瞬間だけ強くなった。

「車椅子での生活を強いられる可能性もあった。
そんな僕が巨人で、しかも1軍のマウンドに立つ
――。それがどれほど難しいことなのかは理解して
います。でも…、支えてくれた家族や、同じ病気で
苦しんでいる人のためにも、なんとしてもそこに
立ちたいんです」

 最初に違和感を感じたのは11年夏。

「たまに、しびれるようになった」。

 最初は右足、それも膝から下に限られた。

 頻度も数日に一回だった。

 前年まで3年連続50試合以上に登板。

 この年も6月までに18試合に投げていた。

 だから、初めての経験にも「疲れかな?」。

 わずかな疑問に立ち止まることなく、目の前の
試合に向かった。

 約9カ月後…。

 もう自分の体ではなくなっていた。

「マウンドに立っている感覚すらなかった」――


 そう振り返ったのは12年4月18日の中日戦
(ナゴヤドーム)。

 6回から救援登板。1死一、二塁から和田に
本塁打を浴びて降板した。

 ボールにもうまく力が伝わらない。

「今思うと、よくベンチまで歩いて帰れたと思う。
両足とも感覚がなかった。相手に悟られないよう
に、転ばないように、一歩ずつ、しっかり下を見
て歩きました」。

 これが現時点で最後の1軍登板となった。

 当時、日常生活も支障だらけだった。

 住んでいた自宅はメゾネットタイプ。

 階段を上り下りすれば、何度も転ぶ。

 ところが「感覚がないから痛くないんですよ」


 翌日にできた大きなアザを見て、驚くことも
あった。

 赤ちゃんがハイハイするように両手を使って
階段を上ったこともある。

 風呂でも、湯のたまった浴槽に足から入ると

「おへそのあたりまでつかってきたら、急に
“熱っ!”って」。

 下半身は温度までも感じなくなっていた。

 中日戦の翌日に出場選手登録を外れ、数カ所
の病院で精密検査を受けた。

 都内のある病院では越智を気遣い、医師が
症状の説明をためらった。

「大丈夫ですから、はっきり言ってください」
と促す越智に、「では…」と切り出されたのが
「黄色じん帯骨化症」という聞き慣れない病名。

「野球を続けても長くて2年くらい。車椅子の
生活になる可能性もある。今すぐに手術を受け
ても、元(プロ野球の選手に)に戻れるのは
50%の確率でしょう」と宣告された。

「びっくりしたけど、やっぱり、という思いも
あった。そのくらい、体の状態は普通じゃなか
った」。

 球団や家族と何度も相談。

 当初は

「手術を受ける気はなかった。受けてもどうなる
か分からないし、このまま長くて2年間をやり切
ればいいと思った」。

 その考えを変えたのは、10年オフに結婚した
最愛の妻の言葉だった。

「手術を受けて。子供もいるし、元気なパパでい
てほしい」。

 野球選手だけでなく一家の大黒柱として。

 手術を受けたのは6月28日だった。

 約3時間に及んだ手術。

 全身麻酔から目覚め、体を横に傾けると、背中
に激痛が走った。

 せきをすれば、電流のような痛みが体全体を伝
った。

 術後、1週間で歩行練習を始めた。

 退院後には川崎市のジャイアンツ球場でリハビ
リに入った。

 9月には術後初めてブルペン投球も試みたが

「子供みたいなボールしか投げられなかった」。

 翌年3月には2軍で実戦復帰。

 今季はファームで20試合に登板している。

 手術により、しびれはなくなった。

 それでも「元気だったときとは少しだけ違う」。

 これが正直な感想だ。

 それでも、越智が突き進むのは恩返しと使命感
からだ。

「声を掛けてくれたり、同じ病気の人から励まし
の手紙をもらったこともある」。

 今季は背番号も22から67へと変わった。

「ここで僕が駄目になったら“やっぱりこの病気
になるときついんだ”と思われてしまう。だから
何としても1軍のマウンドに…」。

 サポートしてくれた球団、支えてくれた家族、
応援してくれるファン。

 そして、同じ病気で苦しむ人のために――。

 逃げ場のない覚悟を口にした。

 

▽黄色じん帯骨化症 

 脊髄の後ろにある椎弓と呼ばれる部分を上下に
つなぐ黄色じん帯が骨化して、脊柱管内の脊髄を
圧迫する病気。

 初期症状として主に下肢の脱力やしびれがみら
れる。

 悪化すると両下肢まひをきたすこともあり、
日常生活に支障が生じる可能性もある。

 国の特定疾患に指定されている難病で、原因は
不明。

 ブロック注射などで痛みを和らげる方法もある
が、症状が進行している場合、手術が必要になる。

 
◆越智 大祐(おち・だいすけ)

 1983年(昭58)6月30日、愛媛県生ま
れの30歳。新田では3年春の愛媛大会優勝も
甲子園出場なし。早大に進み、1年春から2年秋
まで無傷の11連勝でリーグ4連覇に貢献。
4年秋は防御率1.01で最優秀防御率に輝いた。

 05年大学生・社会人ドラフト4巡目で巨人
入団。通算240試合で18勝13敗15セーブ、
防御率3.05。1メートル85、88キロ。
右投げ右打ち。






http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/14/kiji/K20140614008361140.html

難病がつないだ友情…大隣 
越智参考に同じ執刀医から手術


2014年6月14日 10:12 スポニチ



1軍復帰を目指す大隣
Photo By スポニチ



 難病がつないだ「友情」もある。

 巨人・越智のリハビリ中に、発症に気づいた
ソフトバンク・大隣は、共通の知人であった巨人
・杉内に相談。

「症状や手術、リハビリのことなど相談させて
もらいました。周りにいない病気でしたし、本当
に心強かった。感謝しています」

 杉内を介して聞いてもらった越智の話を参考に、
球団トレーナーと話し合いを重ねた。

 結果的に大隣も越智と同じ都内の病院で、同じ
執刀医から手術を受けた。






大隣選手も越智選手の例が有った為に、手術と言
う決断を早期に出来たのでしょう。

おかげさまで、回復も早い様です。

星野さんも決断が早かったのは、やはり、彼の
前例が有った為でしょう。

原因不明の病と言うのは、困ったものですね。

本当の治療方法が判りませんから。

ともあれ、皆さん、早期の回復を望むばかりです


そうすれば、同じ病に苦しむ方々の希望にも成る
でしょうから。


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