http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130824/dst13082411480003-n1.htm
「トモダチ作戦」救難部隊だった米軍墜落ヘリ
殉職兵士に全国から感謝続々
2013.8.24 11:46 産経新聞
東日本大震災の救援活動に出動するため、
救難ヘリHH60の機内で機器の最終確認を
する第33救難中隊の隊員
平成23年3月13日
(米空軍提供)
沖縄県の米軍基地キャンプ・ハンセン
(宜野座村など)敷地内で今月5日、
米軍ヘリコプターが墜落し乗員1人が死亡した
事故。
墜落したのは、東日本大震災の在日米軍の
救援活動
「オペレーション・トモダチ(トモダチ作戦)」
で被災地を飛び回った救難部隊のヘリだった。
殉職した同部隊所属の米軍兵士に対し、全国
から哀悼の意を表するメッセージが在日米軍に
次々寄せられている。
事故では、
米空軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)の
第33救難中隊で救難活動や医療搬送、災害
対応に当たってきた救難ヘリ「HH60」が
墜落し、マーク・スミス1等軍曹(30)が
殉職した。
「あなた方は日本の誇りです。お悔やみ申し
上げます」。
在日米軍司令部(東京都福生市)などに
よると、嘉手納基地には125通を超える
哀悼のメールが寄せられ、司令部には短文
投稿サイトのツイッターを通じて300を超
えるメッセージが寄せられた。
沖縄県内を中心に在日米軍に批判的な報道
が目立つためか、
「さまざまな報道があるが、日本人の中には
在日米軍の皆さんに感謝している人もいます」
と支援のメッセージもあったという。
スミス1等軍曹が所属していた第33救難
中隊は、震災直後から交通が寸断され孤立
した地域や離島をヘリで飛び回り、支援の手
がなかなか届いていなかった被災地に水や
食料などを届けてきた。
同部隊で通訳を務めた20代の女性兵士は、
震災から3日たった3月14日夜、支援の手
が回っていなかった宮城県南三陸町の介護
老人保健施設の屋上に
「200人SOS」の文字を見つけた。
すぐに暗闇の中、空中でホバリングした
ヘリからロープをつたって降下。
各地で被災者との橋渡しを務め、今も被災
地で感謝されている。
スミス1等軍曹は震災後の配属のため、
トモダチ作戦には参加していない。
それでも全国から在日米軍に寄せられた
メッセージの中には、
「部隊の皆さんは東日本大震災でも被災地を
飛び回ってくれた」
と感謝を示す言葉が目立つという。
在日米軍司令部のデビッド・ホンチュル
空軍中佐は
「皆さまからのメッセージに私たちも大変に
感動している。お悔やみの言葉は、この素晴
らしい国との関係がいかに価値あるものか
ということを表現していると感じる」
と話している。
◇
■米軍ヘリ宜野座墜落事故
5日午後4時ごろ、米空軍嘉手納基地
(沖縄県嘉手納町など)の第33救難中隊
所属の救難ヘリが同県宜野座村のキャンプ
・ハンセン内の山林に墜落、乗員4人が死傷
した。
米空軍は6日、同型の救難ヘリHH60の
飛行を当面見合わせ、同型救難ヘリの整備
点検などが行われた。
3日に開始した普天間飛行場(同県宜野湾市)
への新型輸送機MV22オスプレイの追加配備
も一時見合わせたが、
12日に再開。HH60も16日から飛行
訓練を再開している。
震災時米国の動きは、早かったですね。
さっさと80km圏内が、米国人は、退避する
様に勧告し、事態によれば、在日米軍さえ、
日本を捨てて、退避する体制まで、考えて
居た様ですから。
これは、自国民を守る為の当然の判断だったと
思います。
何せ、正しい情報が入らないのですから、
最悪の場合を初めに考え、準備するのは、
当たり前の事。
アメリカ独自に情報も集めて居た様です。
当時の政府の発表の信用性は、低かっただけ
に已む無い事だったでしょう。
しかし、安全と判ってからの支援体制を整え
るのも早かったです。
自衛隊だけでは、とても手が回らなかったで
しょう。
どれほどの人達が、米軍に助けられた事か。
世界各国の人々が、支援の為、日本人の力
になってくれましたが、やはり、駐留してる
米軍の活躍は、軍を抜いていたのは、確か
でしょう。
それだけに、関係を深める事は、大切です。
現憲法下では、自国を自国で守れな国です
から。
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「トモダチ作戦」救難部隊だった米軍墜落ヘリ 殉職兵士に全国から感謝続々。
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