http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/02/12/kiji/K20140212007569380.html
15歳スーパー中学生・平野が銀!打倒ホワイトの夢現実に
2014年2月12日 05:32 スポニチ
ソチ五輪スノーボード男子HP (2月11日)
銀メダルを獲得した平野
Photo By スポニチ
スーパー中学生が歴史を変えた。
男子決勝が11日に行われ、平野歩夢(15=バートン)
が93・50点をマークし、銀メダルを獲得した。
15歳2カ月でのメダル獲得は冬季五輪の個人種目で日本
人として史上最年少の記録。
予選2組で2位だった平岡卓(18=フッド)も92
・25点で銅メダルを獲得し、2人同時にソチ五輪日本人
第1号の表彰台に上った。
15歳2カ月の若き天才がソチの夜空で最高の輝きを放っ
た。
決勝2回目。1メートル60と小柄ながらスピードある
滑走で、滞空時間が長く高く完璧なエアを連発した。
ミスなく迎えた最後のエアでは軸をずらしながら3回転
する大技「ダブルコーク1080」を決め、93・50点で
銀メダルを確定させた。
五輪2連覇中のホワイト(米国)に重圧をかけてミスを誘
い、平岡とともに日本選手団第1号となるメダルを獲得。
冬季五輪の日本人最年少となる表彰台のオマケつきだった
。
昨季は14歳で最高峰の冬季Xゲームに初出場し、ホワイ
トに次ぐ準優勝で同大会最年少メダリストになった。
昨年8月の今季W杯開幕戦で初優勝を飾った際も、最年少
の記録がついた。
海外メディアから注目され取材も殺到した。
スノーボードを始めたのは4歳の頃。
3歳年上の兄・英樹(えいじゅ)さん(18)の後を追い
かけてボードに乗った。
冬場はHPコースを求め、新潟から山形の横根スキー場に
通った。
午前中の授業が終わると早退し、両親が運転する車で30
~40分の練習場へ向かい、夜遅く帰宅。
「お兄ちゃんに負けたくない」という負けん気の強さは生来
のものだ。
父・英功さんはサーフィンが専門ながら、息子を全面支援。
滑りの感覚を磨くのに適したスケートボードを常にできる
環境を整えた。
03年に国内最大級屋内施設「日本海スケートパーク」を
造った。
村上市の委託を受けて施設を整え、一年中、練習できる状況
になった。
息子は父の助力に応えて、小学4年で早くもプロとなった。
過去の五輪は映像だけの世界だった。
「ショーン(ホワイト)は断トツって感じ」。
そのホワイトを初めて目の当たりにしたのは09年に福島で
開催されたアジアオープンだった。
「すげー」と圧倒されたが、5年が経過。
「五輪の舞台で倒したい」と語っていた言葉は今、現実となっ
た。
手にしたのは銀色のメダル。
銅メダルの平岡とがっちり握手をかわした。
スーパー中学生によって、日本スノーボード界は新時代を迎
えた。
【最終結果 平野歩夢 平岡卓】
メダル獲得を確実視されてた種目で、獲得を逃し続ける現状の
中、彼らが、表彰台に昇ってくれたのは、スノボ関係者以上に
日本のオリンピック関係者を安堵させた事でしょう。
それほど、大きな出来事となりました。
終わってみたら、この2個だけだった。と、言う事も有り得る
のですから、重みは、本人たちが、感じてるもの以上では、
無いのかな?
さて、他の競技の方々にも続いてほしいのですが、プレッシャ
ーは、半端じゃ無い様です。
15歳スーパー中学生・平野が銀!打倒ホワイトの夢現実に
2014年2月12日 05:32 スポニチ
ソチ五輪スノーボード男子HP (2月11日)

銀メダルを獲得した平野
Photo By スポニチ
スーパー中学生が歴史を変えた。
男子決勝が11日に行われ、平野歩夢(15=バートン)
が93・50点をマークし、銀メダルを獲得した。
15歳2カ月でのメダル獲得は冬季五輪の個人種目で日本
人として史上最年少の記録。
予選2組で2位だった平岡卓(18=フッド)も92
・25点で銅メダルを獲得し、2人同時にソチ五輪日本人
第1号の表彰台に上った。
15歳2カ月の若き天才がソチの夜空で最高の輝きを放っ
た。
決勝2回目。1メートル60と小柄ながらスピードある
滑走で、滞空時間が長く高く完璧なエアを連発した。
ミスなく迎えた最後のエアでは軸をずらしながら3回転
する大技「ダブルコーク1080」を決め、93・50点で
銀メダルを確定させた。
五輪2連覇中のホワイト(米国)に重圧をかけてミスを誘
い、平岡とともに日本選手団第1号となるメダルを獲得。
冬季五輪の日本人最年少となる表彰台のオマケつきだった
。
昨季は14歳で最高峰の冬季Xゲームに初出場し、ホワイ
トに次ぐ準優勝で同大会最年少メダリストになった。
昨年8月の今季W杯開幕戦で初優勝を飾った際も、最年少
の記録がついた。
海外メディアから注目され取材も殺到した。
スノーボードを始めたのは4歳の頃。
3歳年上の兄・英樹(えいじゅ)さん(18)の後を追い
かけてボードに乗った。
冬場はHPコースを求め、新潟から山形の横根スキー場に
通った。
午前中の授業が終わると早退し、両親が運転する車で30
~40分の練習場へ向かい、夜遅く帰宅。
「お兄ちゃんに負けたくない」という負けん気の強さは生来
のものだ。
父・英功さんはサーフィンが専門ながら、息子を全面支援。
滑りの感覚を磨くのに適したスケートボードを常にできる
環境を整えた。
03年に国内最大級屋内施設「日本海スケートパーク」を
造った。
村上市の委託を受けて施設を整え、一年中、練習できる状況
になった。
息子は父の助力に応えて、小学4年で早くもプロとなった。
過去の五輪は映像だけの世界だった。
「ショーン(ホワイト)は断トツって感じ」。
そのホワイトを初めて目の当たりにしたのは09年に福島で
開催されたアジアオープンだった。
「すげー」と圧倒されたが、5年が経過。
「五輪の舞台で倒したい」と語っていた言葉は今、現実となっ
た。
手にしたのは銀色のメダル。
銅メダルの平岡とがっちり握手をかわした。
スーパー中学生によって、日本スノーボード界は新時代を迎
えた。
【最終結果 平野歩夢 平岡卓】
メダル獲得を確実視されてた種目で、獲得を逃し続ける現状の
中、彼らが、表彰台に昇ってくれたのは、スノボ関係者以上に
日本のオリンピック関係者を安堵させた事でしょう。
それほど、大きな出来事となりました。
終わってみたら、この2個だけだった。と、言う事も有り得る
のですから、重みは、本人たちが、感じてるもの以上では、
無いのかな?
さて、他の競技の方々にも続いてほしいのですが、プレッシャ
ーは、半端じゃ無い様です。